語るぬりかべ

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ぬりかべ体躯のアラサーが、美容と日々の暮らしに奮闘しつつ楽しみを見出す記録。

クリムト展で色気について考えた

会期終了間際の金曜夜、駆け込みで仕事終わりに同僚と行ってきました。クリムト展。東京では会期終了しててもう愛知なんですけど、構わず記事にします。書いてたらどんどん長くなるよ。良作は見返すごとに発見があるね。

klimt2019.jp

クリムトの作品は一番有名な抱擁しか知らなくて、フライヤーにもなっているこちらの絵は初見でした。でもめっちゃ良かった。しばらくじーっと見てた。写真は公式サイトよりお借りしましたよん。

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《ユディトⅠ》 解説クリムトの「黄金様式」の時代の代表作の一つ。油彩画に初めて本物の金箔を用いた作品とされ、額縁はクリムト自身のデザインによる。

クリムトさんは彫金とかもやってたそうなので、金属とは元々近しい間柄だったんでしょうね。わかるわかる。


旧約聖書外典の「ユディト記」によれば、美しい未亡人ユディトは、祖国を救うために敵将ホロフェルネスの首を切り落とした。この主題は、どんな困難にも屈せぬ女性の強さを誇示するものとして絵画や彫刻に取り上げられてきた。

そう!首!女性のお顔に気を取られていて首に目が行かなかったけど首があるのよね…ちょっと怖い…

一方で、女性がもたらす危険な誘惑に対する警告として解釈される場合もある。恍惚とした表情を浮かべ、裸身をさらすユディトは、匂いたつような官能性をまとい、抗しがたい魅力を放つ女性として表現されている。

 はい。その色気ですよ。ようやく本題に入れる。別に私は学芸員でも美術科専攻でもなんでもないそのへんのちゃんねーなのでよろしくお願いします。適当なこと言ってんなーと流してください。予防線はこのくらいにして、まずは顔のアップ。

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なかなかの迫力。こうしてみると例の男性の首がなくても、顔のアップだけでも陰な気配を感じる。まああっけらかんと明るいところよりも昏さや翳りがある場所の方が、所謂色気は似合いますね。陰な気配で色気カウント1。その陰な気配とは裏腹に、お顔には結構しっかりハイライトがのっていますね。眉上から眉間、鼻筋、鼻先、目頭、頬の内側。決してツヤを前面に押し出しているわけではないですが、でもしっかりツヤってる。色気カウント2。そして血色感もすごいですね。おフェロメイクとまでは言わないものの、血の温もりを感じさせるオレンジがかった頬と唇。色味が統一されて自然。もちろん唇にもやりすぎないツヤ。色気カウント3。あと、半開きになった口だ。女性性っておそらく受容というところに特徴があるように思うのですが、やはり引き結んだ口よりもゆるやかに開かれているほうが受容を感じさせますね。色気カウント4。んでもって歯の白さも絶妙。光が当たってる部分は輝いているけれど、全部が全部真っ白なわけではなくて、でも確実に白い。その白さが唇の色をより引き立てている。やっぱホワイトニングって大事ですねー。色気カウント5。もう色気カウントいい?終わりにしていい?いっぱいあるから面倒くさくなってきた。

肌色も実は巧妙で、日常生活をしていて日に当たる部分と、服に隠れていて日に当たらない部分の色が少しだけ違うんですよね。前者は青を使って少し暗い色調にしてあるんですけど、胸やお腹などは生々しくより白い。グラビアで水着の紐をズラして日焼け跡を見せながらこちらを微笑むっていうのは割とよくある構図ですが、あれは水着で覆われた部分の肌をほのめかしているのだな。今わかったよ。エロさを理解した。この記事を書くために何度も何度もこの絵を見ていると、色気ポイントのみならずどんどん新しいことに気が付くな。

 

目元。私はここがキモではないかと踏んでいる。

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うええ、もっと怖い。こんな怖くなると思わなかった。夜見たらホラーだな。続けますが。まずは半開きになった目ですね。とろんとした、というのはよく使われる表現だと思いますが、こちらもやはりそういった印象を与える。がっつり見開いた目よりもしとやかな、一枚膜を張ったような感じ。これも色気カウントです。

次に、目の左右差です。向かって右の目には光が入っている一方で、左の目は右と比べて開き方が鈍く、そのせいか目に光がない。左側の目だけ見ると沼のように淀んでいますね。美を大きく左右するもののひとつに対称性があると思うのですが、その点からするとこの両目は外れていると言えます。しかし、彼女の目がどちらも揃ってキラキラしていたら、きっとこの吸い込まれるような眼差しにはならなかったと思う。左右差って整えるほうにばかり気が向きますが、左右差があって初めてその人らしさが生まれることもあるんだと思う。そもそもの作りだけじゃなくて、筋肉の使い方の癖とかもかなり影響してるんでしょうね。ちなみに私は顔の右側が肥大しています。ブログ書くようになって真顔で自撮りをしたらびっっっくりした。普段鏡を見る時は脳内で補正かけてるんでしょうね。ああ恐ろしい。なかったことにしたい。

 

そんでもって今度は眉。アーチ眉と直線眉では前者の方が女性的な印象を与えるというのが通説ですが、こちらもその通りアーチ眉で女らしいですね。女性の肉体を曲線美と評するように、アーチやカーブと女性というのは古今東西問わず親和性が高いのでしょうね。それと、直線よりも曲線の方が受容的で優しげな雰囲気を醸し出すこともその印象に寄与しているのでしょう。

ちなみに眉と目の距離も色気カウントだと思います。顎を少し上げたような構図で半眼になっているというのもあるものの、割と目と眉が離れていますよね。一般的には目と眉の距離が近いと美人であると言われていますが、本作はそれに当てはまらない。おそらくこの距離が近かったならばもっと意志的な強さが生まれてしまって、先の見えない官能の淵に引きずり込むようなまなざしにはならなかったと思う。何年か前にBunkamuraでやったレオナルド・ダヴィンチ展で聖母の絵を見たんですけど、あれはめっちゃ綺麗なんです。とんでもなく優美なんですけど、本作に描かれているユディトのように見ている側を引きずり込むようなものではない。色気と美は単純に同一でもないし、全く異なるものでもないんだなあと。

 

先ほども目の左右差に触れましたが、ユディトの顔を左右片方ずつ隠して見るとびっくりするくらいに違うんですよ。別の人みたい。公式サイトの解説でもその抗し難い魅力について触れられていますが、それには今までに述べたような崩れや不均衡が一役買っていると思います。「ブスはアクセントになるから、放っておく」というのはCHICCAのブランドクリエイターだった吉川康雄氏の言葉ですが、均整やバランスが取れていないからこそ、人は惹きつけられるのだと思います。

生まれつき美人に見せる

生まれつき美人に見せる

 

うろ覚えですが、 Twitterでは「整っていて自分では触れようとは思わないものを美と認識する」というようなツイートがバズっていましたが、そう考えると均衡を崩したものは美ではないけれど、無性に手を伸ばしたくなる(=色気?)のは人間の心理なのかもしれない。へんな生き物展とか人気ありますしねー。この本というか吉川さんはツヤに重点を置いていて、イエベ秋かつ脂性肌で俄然マット派な私にはテクニックとして取り入れられるものは少なかったけれど、考え方にはなるほどなあと思わせられるものがありました。美容・ファッション関係の本はまだ何冊かお気に入りがあるので、いずれ記事にしたいと思います。今のところ美人画報だけなので。 

nekonekosanpo.hatenablog.com

さて、話を戻します。崩れや不均衡、一般的に語られる美の基準とは異なった箇所が色気や人の注目を生み出すのではないかと考察してきましたが、もうひとつそこに要素を追加するとするならば「対比」だと思います。たとえば黄金に輝く光と淀んだ背景。恍惚として艶めかしい、すなわち生そのものを体現した女性と、歴然とした死を表す男性の生首。良いとか悪いとかそういった判断はさておき、やはり異なった要素の取り合わせや所謂“はずし”は目を引くのでしょうね。いやーでもあれは怖かったな。

 

うーん、長くなってしまった。単純にクリムト展が良かったという話をするつもりだったのになぜ…